アフリカとの出会い33
アフリカの日々2 「クラン - 地域の絆」
   

竹田悦子 アフリカンコネクション

  前回は、経済発展をしていく中でも変わらないケニアの家族の姿について書いた。今回は、その家族が属する地域社会について書こうと思う。多民族国家・ケニアの農村に住む人々は、ほとんどは地域社会の中で生活している。ナイロビ等の都市部を除き,「集落」と呼ばれる場所に同民族だけが住み、同じ文化、同じ言語を共有していることになる。

 日本人には、なじみの深い少数部族のマサイ族は「マニヤッタ」と呼ばれる家畜の糞を固めた丸い家を円形並べ住み、ヤギや牛を放牧して生活している。

 最大部族であり農耕民族であるキクユ族は、畑を中心として、「クラン」と呼ばれる親戚・家族が集合して生活している。農地は直系の長男から順番に相続させるために、どんどん分割されていく。問題点は例えば、7人男の子供がいるお父さんは、自分の土地を7分割して息子達に世襲させる。その時点で余程の大地主でもない限り1人分の農地は、かなり狭くなるが、その農地で家族を養うだけの穀物や野菜を収穫しなければならない。その子供がまた子供を数人もつと、さらに土地は分割されていく。最近では、別の地域の土地を与えたり、子供も自分で購入したりしている傾向も見られる。一方、女の子は結婚していくので土地の相続はない。

 相続するのは土地だけではない。名前も代々のものを受け継いでいく。しかし、お父さんの名前を継ぐのではなくて、おじいさんの名前を継ぐ慣習がある。祖父と男の孫が同じ名前というわけである。

 キクユ族は、家族が属するクランをとても大切にする。「近所の人」は、私のような外国人から見ると「近所の人」であるが、かれらにとっては「親戚・家族」であり、血のつながりがあるもの同士なのである。数世代前は、妻を2人、3人と持つ人も多かった為、第一夫人とその家族、第二夫人とその家族が、お隣同士になって一緒に暮らしている。今でもそんな家族は沢山ある。

 似た顔の、似た性格の人同士が近くに住む状況で正直揉め事も多いようだ。しかしそれを回避したり調整したりする手段として、数多くのクランでの「話し合いの場」がある。私もいろいろな場に招いてもらって、自己紹介をしたり話したりしたが、とても合理的で効果的な集まりであるように思う。

 まず長老とよばれる年配の人が初めの挨拶をし、キリスト教のお祈りをささげる人が同席していて共に祈り、話し合いが始まる。すべての人が一同に会し、男性女性も意見を出し合う。子供は別の席に集められ、話し合いが終わるまで静かにしていることが義務付けられているが、例外なくみんな静かにしている。話し合いが終わると、食事やお茶が主催者から出され、その後は歌や踊りが出ることもある。そして終わりのお祈りをして終わる。

 ケニアの農村には「民主主義」の原型があるように思う。民主主義という言葉が始まるまえからあったかもしれない。時に話し合いは夜にも及び、電気もなく灯油ランプだけで人々は語り続ける。ハランベという助け合いのために寄付を募るときも、冠婚葬祭のときも、問題が起きたときも、いいニュースが来たときも、どんなときもこうして民族は話し合っている。

 そして外国人の私でさえ夫と共に農村に帰れば、この場に参加する資格があり、家族の問題として意見を言うことを求められている。もちろん部族語であるキクユ語は分からないが、スワヒリ語・英語で話すと誰とはなしに訳してくれている。

 「私はこの人たちと家族であって、外国人でないこと」を感じられるケニアの農村を、こうして懐かしく思い出している。



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